現在の私たちの1日に接する情報量は、平安時代の人達の一生分
江戸時代の人達の一年分とも言われています。
そういった情報の洪水から本当に必要な情報と情報を繋げていくための
洞察力を備えた人が、情報を知恵へと昇華させる事が出来る人です。
洞察力とは、「物事の本質を見抜く力」のことです。
洞察力は、「表面的な部分」を含め、さらにそこから「見えていない部分」まで見抜いていく力です。
視座も、視野も、視点も違う。
“同じもの”を他人は同じようには、視ていない、という前提条件を人は良く忘れる。
「視点」は、どこを見ているのか、「視野」は、どこまでを見ているのか、「視座」は、どこから(どの高さから)見ているのか、ということになります。
視野を広げるということ
「視野を広げる」とは、物事を俯瞰的に捉えることで、全体像を把握することです。
全体を俯瞰することで、それまで一部分しか見えていなかったものが見えてきます。
話したり、文字を打ったりする前に、このことを考えてください。
実際、それは誤った二分法です。(論理学で、概念を互いに矛盾する二つの下位概念に区分すること。 たとえば、「人間」を「白人」と「非白人」に分けることなど。)
それには2つ以上の側面があります。
多角的な視点
「今、自分がどこにフォーカスして物事を見ているか?」という着眼点のことを指す。
ないものにフォーカスすると、不平や不満が出てくる。悩みの9割が無いものねだり。
しかし、あるものにフォーカスすると、水一杯でも、塩おにぎり1個でも幸せを感じることができる。
あらゆる物事は多角的な視点で捉えない限り、全体像や本質を捉えることはできない。
現実に対するあなたの見方は間違っていないかもしれません。
しかし、それは、真実について何らかの洞察を持っている
可能性があるのはあなただけだという意味ではありません
視座
親と子、先生と生徒、若者と老人、上司と部下、客と従業員など、自分が置かれている立場を変えて物事を見る事ができればより、
相手の気持ちを理解する事が出来て、対立関係が協力関係や信頼関係に変わることも出来ます。
同じものを見るにしても、どの立場で見るか、どの位置から見るかによって見え方は違ってきます。
人は視覚だけに頼ってものを見ているわけではない。
住み慣れた街であっても、歩き方しだいで旅にもできるのは、
人が視覚だけではなく想像力を使って自らの視点を拡大したり縮小したりできるからです。
子どもが延々と段ボールで遊んでいられたりするのは、想像力を使って遊んでるからなのかもしれません。
そろそろ私たちは、すっかり萎えてしまった想像力をもう一度鍛えなおす必要がありそうだ。
不確実性の先行き不透明で不安な時代を生き抜く
現実は私たちの想像を超えた世界になっている
現代社会は、かつてないほど不確実性と不透明性に包まれています。気候変動、経済格差、政治的混乱など、様々な課題が私たちの前に立ちはだかっています。こうした状況下で、私たちはどのように生き抜いていくべきなのでしょうか?
行動経済学・脳科学・心理学の3つの科学的視点から考える、【不確実性の先行き不透明で不安な時代を生き抜く】術を解き明かす