宗教は信じるという証明の出来ないことを、心の拠り所とするために

その心の拠り所を失う事が起きると、自分の信じている事に矛盾が生じないような
解釈を行う事で、信じている心のよりどころが失われないように安定化を図ります。

自分の思考や行動に矛盾があるときに生じる不快感やストレスのことを【認知的不協和】と言います。人は認知的不協和の状態に陥ったとき、この不快感やストレスを軽減させるために認知や行動を変化させます。

この印鑑を買えば、家庭が幸福になると言われ、旦那が高い印鑑を買ったために家庭内に不和が起こり、自殺。自殺したのは、あなたの信心が足りないから、旦那を地獄から救うために壺を買いなさい。息子が自殺して、自殺したのは6代前の先祖が自殺して救われていないから、この3千万円の本を買えば救われる。

心が安定しているために、自分が信じている事と、現実に起こった出来事に矛盾が生じないことが必要です。


幸せになる事に価値を置き、そのために印鑑を買ったのに、旦那が死んだというのは認知的不協和の状態です。幸せになるはずだった印鑑を買ったのだからという価値は、あなたの信心が足りなかったからという脱価値で矛盾を解消するための解釈が行われ、信仰心を示す為に壺を買い、死んだ旦那を救う。

矛盾が生じる状態を認知が不協和であるといい、一貫性が崩れる事によって自分の認識している信じていることと、現実との間にあったはずの一貫性、つまり矛盾が生じない状態、信じている限りにおいては印鑑や壺を買った事で自殺した旦那や息子は救われている。自殺した旦那や息子が救われているのは信仰を持ち続けている限り、信じていることに矛盾が生じないような解釈を行う事によって認知の不協和を解消しようとする心理的な働き。

幸せになる印鑑が、旦那の自殺で、価値のあったものが無価値になった状態から、元々あった価値観を一旦脱価値化させること(この場合は信仰心が足りなかった)でリセットを行い、壺を買わせることで再度、旦那を救う事になるという解釈を行う事により、認知の不協和が解消される、自殺した旦那も地獄から救われるから壺を買う事であなたの信仰心が示せたとなる。不信仰のままだと、旦那は救われない、壺を買えば旦那が救われて、自分の信じている事と、旦那が地獄で救われているという現実(信じている限りにおいての現実)不快感は解消される。

旦那が自殺したことで、信じていた幸せではなく不幸が来たのに、それは信仰心が足りないからと言われることで、信じていることに対しての不協和は、自分の不信仰という解釈で保たれる。

でも、信じていない人から見ると、霊感商法であると理解できても、信じることで自殺した旦那や息子が救われているから、霊感商法だといわれても、そうではないと考えないと、認知の不協和が矛盾をむき出しになり、自殺した旦那や息子は地獄にいる状態となり、耐えられない現実に直面することになる。
信じる者が救われるのは、認知不協和が働いているからですね。

 


分かりやすく簡潔に認知の不協和を説明する話として

イソップ物語の酸っぱい葡萄の童話がこれに当てはまります。

「キツネが木の上に美味しそうなブドウを見つけて取ろうとするけど、高い場所にあるので取れない」という場面が描かれており、この取りたいけど取れない状態が、認知的不協和です。
この認知的不協和の状態を解消するために、キツネは「あれはすっぱいブドウに違いない」と認知の解釈を変えることで認知的不協和を解消します。


キツネは、認知的不協和を解消するためにブドウを脱価値化して、ブドウが取れない自分の不快感を解消を認知の解釈を変えることで成功したと言えます。


不快を避けることは、生き延びる事を最優先する本能の現れで自然な事ですが、幸せは避けることが出来ない不快を甘んじて受け入れることによってもたらされることも自然の摂理です。腕や脚を失っても、不幸そうな動物は居ないといいます。


人間だけが、失ったものを嘆いて不幸であると思い込んでいます。


更に失わないために、嘆かずに対策なり知恵をつけて前を向いて生きていく解釈の選択をすることも出来ます。起こった出来事は変えられなくとも、出来事に違う解釈を加えることで違った人生に変えるきっかけにすることは出来ます。

参考まで「認知的不協和」の書籍の著者でもあるL. フェスティンガー (著)
予言が外れても、それでも信じ続けるとある宗教団体への潜入調査の
予言がはずれるとき―この世の破滅を予知した現代のある集団を解明する (Keiso communication) 単行本 – 1995/12/1
S. シャクター (著), H.W. リーケン (著)